8月6日は、淀川花火大会でした。
先週の話です。時がたつのは、はやいものですww

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淀川沿いの土手から望む、屋台群と梅田エリアに立ち並ぶビル街の対比。
絶景かな。

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お空に浮かぶお月様も、今宵は優雅に花火観賞。

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大阪、夏の夜空に花咲く、大爆発。
この派手さ、さすがなにわやなぁ、しみじみ。

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まるで、ほんとに花びらが散ってるみたいだね。と。
これでこそ、「花の火」やね。

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あぁ。
みんなに素敵な夏の夜を楽しませてくれる、花火職人さんたちありがとう。
本当に、いいお仕事します。

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日々是空間論BAR

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今回は、BAR空間について語ってみたいと思います。

BARって、みんな行く機会あるのかな?
最近、カフェバーとか、レストランバーとか名称のついたお店が結構出てきてて、
気軽に入れる店も増えてきたような気がします。

だから自分的にだけど、バーとカフェ、レストランの境目がなんとなくあいまい。
まず、これらの差は何ぞや?と。
今回バーという定義を定める意味も含めて、ちょっと天下のウィキペディア先生に聞いてみます。
●カフェ

http://ja.wikipedia.org/wiki/カフェ

本来コーヒーの意味。
それが転じてそれを飲ませる飲食店を意味すると。。ほうほう。
●レストラン

http://ja.wikipedia.org/wiki/レストラン

料理店。
お客様に調理した食品を供する店舗。。そんなかんじですね。
●バー

http://ja.wikipedia.org/wiki/バー_(酒場)

酒場。
カウンターでカクテル、水割りなど、酒を中心とした店を指すことが多い。
それぞれ、元々の由来が違うのですねー。
勉強になります。ウィキペディア先生。そこで、改めてバー空間について考えてみたいと思います。
基本的に、バーってカウンターがあって、そのカウンターの向かいにはマスターやバーテンダーの子が居たりして、
「今日は、何になさいますか?」
「そうね、今日の気分で作って頂戴。」

なんてやり取りが交わされたりして。
いやなかったりして。

そんな感じで。
でも、やっぱりお店によって違う。
もちろん、内装とかインテリアとかによっても違うんだけど、
見た目の空間作りというより、そのマスターの存在感が作り上げる空間のような気がするんだなぁ。

マスターがよくしゃべるお店は、明るい雰囲気でお客さんも声出して笑ってたり。
逆に、フレンドリーさが全くないお店もあって、皆静かにそれぞれの時間を楽しんでたり。
様々。マスターが作り上げるといっても、先導を仕切るのではなく、あくまでもお客様たちの邪魔をしない。
会話に入ってくることもあるけど、とてもさりげない。

とても心地よい空気感がそこには生まれる。
その空気感をみんなで大切にしてる気がするんだなぁ。

そのバーが好きだからこそ、それぞれの礼儀をしっかり守るというか。。
わたしはそう思います。

だから居心地のよい空間のバーが好き。

大切なひとをついつい紹介したくなる。私はあります。
そんなお店をみんなも一つは持ってるんじゃないかなぁ。

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「日々是空間論」バックナンバー

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面白そうなイベント を見つけたのでふらっと行ってきました。

京都の>アバンギルドの「 みえないやみ きこえないおと 」というイベントでした。

サイトの紹介文から抜粋します。
《わたしたちには、『闇』が足りないんじゃないか…
もし都会の真ん中に防空壕があったなら、人は何から避難してくるのか…
現代の防空壕とは?》

映像・パフォーマー・音によって、会場全体を使った演出で、「闇」を表現していました。

会場の灯りが消え、目を閉じていても開いていても、真っ暗な状態に。。
暗闇の中で、体育すわりをしている私。

押し寄せてくる波の大きい音や突然聞こえる足音、、、。
その度に、不安感が襲ってきました。
知らないうちに、耳をふさいで小さくなっていました。(ただの怖がり??w)

次第に、少しずつ灯りが灯ってきて明かされてくる物音たちの原因。
見えてしまうと、笑ってしまうような原因だった。
わたしはどれだけ、視覚に頼って生きているんだろう。
目に見えるもので色んな情報を得てるんだろう。

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文字や写真で何かを残すこと、
インターネットなどで情報を得ること、
を当たり前のように行っていて、それが全てのように思っているところがあったが、
真っ暗闇の中では、そんなもの無意味。

実際、暗闇の中ではなにもわたしの助けにはならなかった。

「だいじょうぶだよ」というメールなんか、見えなければ意味も無い。
「だいじょうぶだよ」という言葉なんか、聞こえなければ意味も無い。
そのとき、安心感を与えてくれたのは、肩をぽんと抱いてくれるその手の感触だけだった。

ネットが普及してる世の中で、人間と人間との間に間接的に行われている情報交換がたくさんある。
便利だけど、その分色々大切なことを忘れていることもあるのかもしれないなぁ。
もっと、人のぬくもりとか実際の感触とか、そういうものを大切にしていきたいなぁと
そんなことを感じました。

いいイベント、ありがとう!

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分かったつもりになったけど、
やっぱりよく分からない。

知ろうとすればするほど、このひとの言葉ばかりが残っていく。

言葉のプロ。

言葉で人と人を繋げ、その場その場で居心地のよい空間を作っていく。

関わった人をやる気にさせ、力を与え、魅了する。

だからといって、これというがっちりした偉そうな格言めいたことを言っているわけでもない。

本人も自分のことを表しているように、
「出入り自由な宗教」

「この人は、こんな人だ!」と言い切れない。
つかめないからこそなのか、
なぜか引き込まれる、魅力のある人です。

糸井重里さん。

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日々是空間論

おしいれ

押し入れ。。
暗くってじめじめしてて、お布団や季節はずれのお洋服をしまうところ、でしょう。

子供のころは、かくれんぼなんかに使ってて、
最初は、「しめしめ!ここなら見つかるまい!」と思って隠れたはずが、
押し入れの引き戸が今まで居た明るい世界と押し入れの世界の大きなカベになって、なんだか自分が一人っきりになった気がしてくる。
もしかして、後ろになにか良く分からないものが隠れてるんじゃないか、、。
なぁんて背中がぞぞーっとなって不安になってきて、
5分後には、「ここだよー、早く見つけてよーー!」って思ってたり。

そんな押し入れの新しい利用方法を示したのが、
ドラえもん。

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まさかあそこを寝る場所として、活用するとは!
なんて画期的なんでしょ!
さすが、未来の猫型ロボットさんです。

そんな中、面白い情報をネットでゲット。
「押し入れハウス」などと呼ばれる、狭いが格安の宿が首都圏で増えているんですって。
一つの例を挙げると、引き戸をあけると、細い板張りの寝床。そこは1畳に満たない広さ。家賃は光熱費込みで月2万7千円。敷金、礼金もちろんなし。1日900円の計算。
利用者の声の一つに「寝れたらいいじゃないですか。」って、
まぁ確かに、、。

未来の猫型ロボットは、タケコプターよりもっと実用的なものを私たちに教えてくれたみたい


「日々是空間論」リスト

わたし、”空間”について書いてみたい!

そうある日の深夜、布団の中ではっと思いついた。
私は、とっても”空間”というものに興味があることに気づいた。
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ではでは、空間とはなんぞや、、、
漢字をそのまま見ると、「空いた間」。
ウィキペディアによると、”物体が存在しない、相当に広がりのある部分。あいている所。”との説明。

私の考える間とは、「人が存在したり、利用することによって成り立っている場所や間」のこと。
どんな”あいている間”でも、人がその場所となんらかの形で関わっている。
そして、人によって、その場所の捉え方、利用方法や意味づけがそれぞれ異なっていると思う。

自分の部屋
職場
飲食店
公園
そう、トイレだって立派な”空間”だと思う。

なにも、ギャラリーや美術館のようにアートで飾り立てられた場所だけが、空間なんじゃないと思う。

わたしたちは日々の生活の中で、色んな空間を出たり入ったりしている。
あまりに何気なく通り過ぎたり、利用したりしているから、意識していないだけ。

そんな愛おしい空間のこと、改めて思い出してあげるきっかけになれたらいいな。

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