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最近は、一日30分はまとまって歩く時間を作ってます。
二週間ほど、継続してます。
えっへん。
えらいでしょ。

なにか健康のため、はじめたいなぁと。
まず、歩いてみるか。
という単純な思考のもと。

こないだ、上を見ながらぼんやり歩いてたら、
迷子になってしまい、二時間ほどうろうろするハメに、、
カロリー大量消費ですw

でも、めっちゃ気持ちいいよ!

頭もすっきりするし、動いてお腹も減るから、ご飯がおいしい♪
心身とも、健康になれちゃう、おススメです^^

季節の匂いや、雲の様子。
街のおと。

まいにちに隠れてる色んなもの、みつかるよ。

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あたまでっかちな自分は、尻つぼみになりかけてる。

あまりにも、否定され続けすぎた。
やだやだ。
おとなになったね、なんて、いらない。
心の奥底をそっとのぞいてみて。
いろんなあったかい感情が残ってるはず。
澄んだガラス玉、割らないように。
宝物、捨てないで。
おっきい、ゆるがない根っこを、さがそう。
自分はまだここにいるよ。

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先週末に、YUKIのMEGAPHONICツアーライブに行ってきた。
場所は、神戸記念ワールドホール。

このライブは、私にとってとても衝撃的な記憶となった。
YUKIの歌声や演出がどうという話ではなく、
彼女の発するオーラや発言、一つ一つがわたしの心に刺さったからだ。

彼女がくれたたくさんのメッセージの中で、私が一番気に入ったのがこの表題の言葉。

「日本語は言霊が強いから、プラスの言葉を使っていこう。」

「楽しいから笑うんじゃない。笑っているから、楽しいんだ。」

「いつも、同じところにいない。常に挑戦。常に新しい自分。」

「幼い頃は、愛を求めるばかりだったが、今は違うって分かってきた。愛は、与えるものなんだ。」

「20年前の自分も、10年前の自分も好き。でも、今の自分が一番好きです。」

「皆、ひとに必要とされて生きている。皆が私を必要としてくれているように、私にもあなたたちが必要なんだ。」

ここにいるお客さんは、彼女の歌声や姿が素敵だからという理由だけで、ここにいるのではない。
彼女の発していることば・歌・全てから発される、その体臭のようなものに、魅せられてここにいるんだと。
作品がどうとかではない。彼女自体の生き様が、アートなんだと。

近頃、なかなか自分に自信が持てない私に、強いメッセージと元気をくれた。
YUKIだけではない、
私たちだってみんな存在するだけで、アートなんだ。
自分を自由に、愛して、精一杯笑って生きたい
そう強く思った。

「瞬間を食べて、生きていこう。」

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ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 in京都市美術館
京都で遊ぼうARTにレポートが掲載されました。
http://www.kyotodeasobo.com/art/report-review/authorc29f8/201111/washington.html#a_head

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京都市美術館のワシントン・ナショナル・ギャラリー展に行ってきました。
まことに、開展期間ぎりぎり滑り込みセーフであります。

展示場は、印象派登場まで・印象派・ポスト印象派、ポスト印象派以降と、時系列に四時代に分けられており、時代の変遷と共に移り変わっていく画家とその作品を楽しむことができた。

心に残った三点の絵について、すこし。

印象派以前の写実主義が主流だった頃、エドルアール・マネは一風面白い作品を作っていた。一枚の絵に一つの主題を明瞭に示して描くことが主流であった時代に、主題は「鉄道」だが、絵画には鉄道自体の姿ははっきり見られない。鉄道と公道を隔てる柵にもたれかかった女の子二人が大きく描かれているのだ。鉄道をテーマとしておき、女の子の表情や姿から背景の物語を連想させるものだった。

二つ目は、印象派と言えば有名なクロード・モネの「日傘の女性とモネ夫人と息子」。晴れた日の草原を背景にした2人が、爽やかな色使いで描かれている。草原を駆け抜ける風の音と空気の匂いがこちらにまで漂ってくるような作品だった。

最後に今回のメインである、フィンセント・ファン・ゴッホの「自画像」。彼は、死ぬまでに36点の自画像を残しているが、その中でも死ぬ前年に描かれていたのが、この有名な自画像である。神経病に悩まされていた彼は、37歳という若さで自殺したという。どんな気持ちでこの自画像と向き合っていたのか、考えると計り知れないものがあった。

この展示会で最も興味深かったのは、印象派やポスト印象派の画家たちの油彩画作品のみならず、紙を支持体としたリトグラフや版画などの作品も多数展示してあったことだ。油彩とは違った彼らの作品を見て、その表現方法の幅広さに感銘を受けた。マネはこんな絵、ルノワールはこういう感じ、というように画家ごとの作品には、一定の癖のようなものがあるが、画家としてはその作風しか描けないのではなく、様々な描き方を追求した上で自分の作風を作り上げているんだなと思った。

19世紀後半パリで起こった大きな前衛芸術運動である印象運動。有名な画家とその代表作品を一挙に見ることができて、とても贅沢な展示会でした。

さらに、絵画や芸術への興味が沸いてきました。また行くぞ。

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昨日、映画をみた。「フォレスト・ガンプ 一期一会」

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むかーしに一度見たことがあったけど、そのときの私はこの映画のよさを理解することができなかった。
そのときは、ただ長い単調な映画の一つだった。
今回、久しぶりに見て、かなり感銘を受けた。

主人公フォレスト・ガンプの人生を過去を回想するかたちで描いた物語。
フォレストは、生まれつき人よりも少し知能指数が低い。
ゆえに純粋で、何も欲を持っていない彼は、ただ決められたことをこなす。
しかも無心で真剣にこなす。
周りの評価が様々に変わっていくが、そのことに彼自身が全く気づいていない。
だって彼はそれをただ続けていただけだから。
彼を取り巻く人間たちは、それぞれ自分の思い描く未来と現実とのギャップに頭を抱えている。
過去のトラウマに引きづられている人。
名誉欲などを持っている人。
そんな人たちが、彼に会うことで何か大切なものに気づいていく。
その様がとても自然で、自分に置き換えて考えてしまった。

そんな彼にもひとつだけ大切にしているものがあった。
彼の心の中にあった愛という存在。
わざわざ決めたものでもなく、気づくものでもなく、無理やり作り上げたものでもなく。
それは決して揺るがない、何度離れても自然とそこにあるものだった。

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「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない」
フォレストの母が、彼にずっと言い続けていた言葉。
この映画のテーマ。

こうなりたい、とか。
こうするのが一番近道だ、とか。
人は、たくさん頭を使って考えて、自分の人生をなんとか左右しようとするが、
それ自体あまり意味がないことなのではないかと思った。

そう。
開けてみるまで、わからないのだ。

フォレストが最後に、私たちに問いかけていた。
「・・・ぼくらには皆、運命があるのか、それとも風に乗ってたださまよっているのか。」
この答えは、私にはまだわからない。
彼の答えはこうだった。
「多分、その両方だろう・・・両方が同時に起こっているんだ。」

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