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あいうえおままごと帳

  • 2012年3月 1日

  • 日々是空間論 第6回「終電まぢかの改札前」

日々是空間論

終電間近の改札前


駅前の改札。

たいていそこには小さな広場があり、基本的には駅の出口で乗車券や定期券の回収箇所である。
しかし、その駅の改札前では毎日様々な人間物語が繰り広げられている。

特に終電が迫っているときは、、。

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改札前の柱の下で泣いている女の子がいる。
通りすがる人たちもなんとなく気になるのだろう。ちらっと横見しては通り過ぎていく。
女の子はしきりに鼻をすすりながら、携帯を握り締めている。
携帯を覗き込んでは、また泣き、また覗く。
世の中の涙には、うれし泣きというものもあるが、こればかりはそうは思えない涙だ。
すると何か突然吹っ切れたかのように、改札に向かって走っていく。
その顔からは、涙はもうなかった。


飲み会帰りなのだろう。

ほろ酔い気分の学生さんたちがわいわいと会話をしながら、やってくる。
「ほな、また明日ねー。」「あ、言ってたやつ、持ってきてやぁー。」「おっけー!!」
最後の挨拶もそぞろに、それぞれの乗り場に向かっていく。
また明日も会えるという、その当たり前のようで実は特別な約束が、とても自然にかわされていく。今日はさりげなく終わっていく物語も、いつか振り返ったときに懐かしい物語になるんだろう。


一定の距離を保って歩いてくる男女ふたり。

改札の前で、向き合って何か話をしている。
笑顔で手を振りながら改札の向こうに歩いていく女の子に向かって、恥ずかしげに手を振る男の子。
きっと次、ここで2人を見るときには、もっと寄り添って歩いているんだろう。


たくさんの物語が繰り広げられる、終電間近の改札前。

終電は、今日というイベントの終わりを告げるアラームであり、

改札前は、その終わりを自ら受け入れるために設けられた節目なのだと思う。
いわゆる決断を下す場所。
だから、改札前には物語が生まれるのだと思う。
人間というものは、終わりが見えて初めて自分と見つめ直すものなのか?


終わりが見えたときの時間が生む、空間。

普段はただの改札口が、この場合だけは、「それぞれの大切な場所」となる。


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