こんばんは。コモコモカフェの店主です。

最近やっと少しずつですが、自分のサイトのブログを更新するようになってきて、いい傾向です。
そして、過去のお話も含めて書いていきたいと思います。

7月頭に、GREENSPACEの辰己兄弟さんの取材をさせていただきました。
本当に想いの熱い、バランスを補い合った2人で、すごく惹き付ける魅力のあるご兄弟でした。

辰己兄弟

庭と暮らしについてのお話をお伺いしたのですが、思わず「ウンウン」と頷いてしまうような内容ばかり。
私が一番感銘を受けたお話がこれです。

「庭とは本来、生きものをある程度、成長を抑制させながら、生活の身近に置くという高尚な遊びです。生活の後ろにあって、豊かにしてくれる脇役。人間が中心にあるからこそ、人間がどう感じて楽しめるかということが、庭づくりにおいて重要なことです。かつての日本庭園のように眺めるだけのものではなく、庭の枝木を切って花瓶に生けることだけでも、立派な庭の楽しみ方のひとつだと思うんです。今後は、色々な視点から”庭”という空間を捉えて、アクティブな使い方を提案していきたいです。」

設計図面で見ると1 m2の小さなスペースでも、上部には空間が広がっている。両手を広げられる位のスペースがあれば、高さ5mの木が1、2本は植えられると2人は話す。そう考えると、どんな場所でも庭になり得るのだ。庭のある暮らしを楽しむきっかけは、自分たちの中にあって、気付く視点さえあれば、生活を豊かにすることができる。

やはり突き詰めている人のお話って素敵ですね。ハッと気づかされることが多いです。
ライトにわかりやすくまとめた記事はこちらです。
reallocal「「庭」を楽しむ暮らしを。」

ちなみにこの後ろ姿の写真が、雰囲気あって、個人的に相当好きです・・・。

辰己兄弟

そして取材風景○
店主もこう見えて、しっかり働いてるんですぅ・・・w

11017481_735736523204755_1365198291997739008_n

more_btn

【今日気づいたこと】

酔っぱらって自宅に帰ってきて、ひとり2次会するか、しないか考えながら冷蔵庫を開ける。
ふと目に入ってきた、台所に残っている昨日の晩ご飯と今朝の食事の後の食器。

ああ。

目をそらしそうになったが、いかんいかん。
洗ってみるとなぜかスッキリ。


洗い物も積み上がると、さらに積み上がる。
なんでも何かのモノの上に、どんどん積み上がる。
それは物体であれ、気持ちなど形に見えないモノでも同じこと。
断捨離に至る前に、不穏を感じるもの、不要だけど何となく側にある、散らかったものを片付ける方がいい。
そうすれば、ムダな片づけは必要なくなる。
そうすれば、積み上がったものは、自然と価値となってくる。


さあ、ねるか。
明日は、なにが積み上がるのか。
グッドナイ。

more_btn

“自分への問いはつづけながら、何か具体的なアクションを起こす、
そんな時期になってきたのかなあと。
目標と計画をたてるのは、大の苦手なのですが
ゴールの予想できないところへ進むのは割と好きです。”

ある人がそんな文章を書いていた。
読んで、ぐさっときた。

むかし、理想としているじぶんの像にはなれている。
役割と名目上には。
向上心と迷いのあいだ。
どちらに偏ってもよくないんだろうし、バランスとってやっていきたいのは本音なんだけど。

ある意味で本気出せていない所がある。
他人事だと片付けないことや、
出し惜しみはいけないなー、とわかってはいる。
予想できるゴールには心が躍らない。
そろそろ必死でぶつかってみるのがいいのかもしれないな。

more_btn

ひろった素敵なことばたちを忘れないように、メモします。

・日本人は触覚にはかなりこだわりますよね。
鈴木マサルさん/テキスタイルデザイナー・人がファッションで身を包むのは、イメージにラッピングされたいからです。
森永邦彦/ファッションデザイナー・まずは見た目で「私はいいですよ!価値がありますよ!」って伝えたいんですよね。
受け取る側も、提供する側も、皆毎日自然に「パッケージデザイン」してるんじゃないですか。
青木良太/陶芸家

more_btn

開放的な台詞は、ねるまえのことが多い。
親しい人と語っている時間もそう。
幸せと不安定は同時にやってくる。

倫理的な正しさと間違いを繰り返しながら、生きている。
好きなものと嫌いなものを混ぜこざにしながら、暮らしている。
好きなものが嫌いになったり、
苦手なものが好きになったり、
世の中わからないことだらけ。
それを決めているのは自分なのか、他者の価値観なのか。
ことばは楽しい。
無鉄砲なことばは、一瞬楽しい。
残るものは、すこしちがう。
自分を客観的に観ている自分が滑稽だ。
今宵の哲学。

more_btn