日々是空間論
カフェ

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カフェ。
みんなは、どんなときにカフェに行く?
みんなにとって、カフェはどんな場所?

ちょっと歩き疲れたときに、立ち寄る場所。

待ち合わせまでの空き時間、ふらっと入ってつぶせる場所。

お腹空いたーってランチで駆け込む場所。

その時々で理由は何だっていい。
みんなは、お気に入りのお店ってある?

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カフェって、気づかないうちに私たちの生活に根付いてきてるけど、
元々の意味はなんなのだろう?
本来は、コーヒーの意味。転じて、コーヒーなどを飲ませる飲食店を意味する。 新聞や雑誌がそこで読め、時の話題について談笑し、情報交換のできる場所として親しまれている。現在の日本ではほぼ喫茶店等飲食のできる、カフェバー、インターネットカフェ、オープンカフェなどのような業種の総称として使われている。 (wikipediaから)

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ここから、
私の空間論的に語らせていただくと、カフェというのは、

癒しを得られるリラックス空間
なのです。そのために、コーヒーやスイーツ、音楽、インテリアや照明、店員さんも含めたパーツが空間に用意されてるの。
組み合わせ方は、カフェオーナーさんのセンスでオリジナル。
空間の色づけ方はそのお店次第。コーヒーがおいしいからこの店は流行ってるとか、目立ったパーツだけ見えがちだけど本質はそこにないと思う。
そのコーヒーがその空間で飲めるから、美味しいと感じるのだと思う。

コーヒーがまずくたって通いたくなる店だってある。
店員さんがかわいいとかねw
まぁつまりは、いいなと思う箇所が人によって違ってもいいのだ。

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私にも何箇所かあります。
お気に入りの店。
なぜか頭の片隅にずっとあって、ふと行きたいなと思うお店。

もしかしたら、お気に入りのカフェを聞いてみたら、その人となりが分かるかもね!

居心地の良さを感じる所は、一律じゃなくって人それぞれだもの。
あなたの好きなカフェを教えてください。

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ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 in京都市美術館
京都で遊ぼうARTにレポートが掲載されました。
http://www.kyotodeasobo.com/art/report-review/authorc29f8/201111/washington.html#a_head

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京都市美術館のワシントン・ナショナル・ギャラリー展に行ってきました。
まことに、開展期間ぎりぎり滑り込みセーフであります。

展示場は、印象派登場まで・印象派・ポスト印象派、ポスト印象派以降と、時系列に四時代に分けられており、時代の変遷と共に移り変わっていく画家とその作品を楽しむことができた。

心に残った三点の絵について、すこし。

印象派以前の写実主義が主流だった頃、エドルアール・マネは一風面白い作品を作っていた。一枚の絵に一つの主題を明瞭に示して描くことが主流であった時代に、主題は「鉄道」だが、絵画には鉄道自体の姿ははっきり見られない。鉄道と公道を隔てる柵にもたれかかった女の子二人が大きく描かれているのだ。鉄道をテーマとしておき、女の子の表情や姿から背景の物語を連想させるものだった。

二つ目は、印象派と言えば有名なクロード・モネの「日傘の女性とモネ夫人と息子」。晴れた日の草原を背景にした2人が、爽やかな色使いで描かれている。草原を駆け抜ける風の音と空気の匂いがこちらにまで漂ってくるような作品だった。

最後に今回のメインである、フィンセント・ファン・ゴッホの「自画像」。彼は、死ぬまでに36点の自画像を残しているが、その中でも死ぬ前年に描かれていたのが、この有名な自画像である。神経病に悩まされていた彼は、37歳という若さで自殺したという。どんな気持ちでこの自画像と向き合っていたのか、考えると計り知れないものがあった。

この展示会で最も興味深かったのは、印象派やポスト印象派の画家たちの油彩画作品のみならず、紙を支持体としたリトグラフや版画などの作品も多数展示してあったことだ。油彩とは違った彼らの作品を見て、その表現方法の幅広さに感銘を受けた。マネはこんな絵、ルノワールはこういう感じ、というように画家ごとの作品には、一定の癖のようなものがあるが、画家としてはその作風しか描けないのではなく、様々な描き方を追求した上で自分の作風を作り上げているんだなと思った。

19世紀後半パリで起こった大きな前衛芸術運動である印象運動。有名な画家とその代表作品を一挙に見ることができて、とても贅沢な展示会でした。

さらに、絵画や芸術への興味が沸いてきました。また行くぞ。

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日々是空間論
段ボール

段ボール。
だんだんぼーる。
段ボールは意外と身近に存在します。

紙やら、服やら、、たくさんのものが入るので入れ物として役立ちます。
お引っ越しのときなんか、山ほど積み上がります。
積み上がったその姿は、荷物の高層マンションといえるでしょう。
一階は冬服さん、二階は夏服さん、三階はおなべや食器たち。
騒がしく話し声が聞こえてきそうです。

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人間さまだって、お世話になるときがあります。
もらわれ猫ちゃんのように、なかに入ってみてください。
おもいの外暖かいし、外からの音も聞こえません。
なんだか落ち着ける寝室の出来上がりです。

そういえばむかし、段ボールをくっつけて土管みたいなものを作らなかった?
すこし薄暗くて、柔らかい。
ちょっと太めのあのこだって通れちゃう、
ついでに、ネズミのきもちがわかるでしょ♪

やっぱり寒い季節には、みかんはいかが?
はこの中には黄色いみかんがたぁっくさん。
美味しくてすこし甘酸っぱい匂いでいーっぱい!
はこの中ではみんなでわいわい雑談中。
誰が一番にたべてもらえるか、みんなで競争してるかもね。


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日々是空間論
電車「ご乗車ありがとうございまーす。」

電車に揺られ目的地に向かう。
聞き慣れた車内のアナウンス。
今日も電車は、どこかからどこかへ私たちを運ぶ。

電車の車内はひとつの社会だ。
様々な目的を持った人々が、それぞれの場所へ向かうために乗っている。
時間帯や曜日によって、その顔を変える。「扉がしまります。ご注意ください。」朝は、通勤列車。
おしあいへしあい、会社へ向かうサラリーマンたち。
いつもは素敵なあの娘も、この時間だけは、むっつり顔。
仕事のできるあの先輩も、押されてなるものかと戦闘態勢。
携帯ゲームに夢中になる学生や巻頭グラビアに釘付けのおじさまたち。
それぞれ目を合わせない、無表情。
会社という目的地までの道のりは、ただただ、遠い。
月曜日は特に厳しい空気感。

「平日は終日、女性専用車両となっております。」

昼間は、カフェ列車。
奥様や大学生さんやご老人たちが、お友達と一緒にぺちゃくちゃおしゃべり電車。
雰囲気が一気に明るくなります。
きっと楽しい目的地に向かうんでしょうね。
それか、今自体を楽しんでいるのかな。

たまに、いい匂いなんかもしてきたりします。あらあら、もうお昼ごはんなのね。

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「次は、終点~終点です。」

3時の休憩列車。
一気にまったり電車。
先方に向かうまでの仮睡眠場所にしている営業さん。
読書に励むお兄さん、窓の風景をぼーっと眺め続けるおばあさん。
車内が静かになります。
知らない間に寝過ごしちゃって、終点までいっちゃったりして。
ここはドコ??
電車降りて、あわてて先方に電話、なんてね。

「駆け込み乗車はご遠慮ください。」

夜も更け、アルコールの匂いも漂いだす車内。
みんなの会話する声も心なしか大きくなってます。
改札から電車まで猛ダッシュしてきたおじ様、久しぶりの運動に汗だくです。
数人で大笑いしてる若者たち。
それを文句言いたげな顔して見上げる気難しそうなおじさん。
泣いちゃったりしてる人もいます、さっきまで色々あったんですね。
目的地は、きっと、それぞれが自分の感情丸出しのまま戻れる場所。
あったかいお家に帰るべく、みんな揺られてるんですね。

電車は私たちの感情を連れて走る。

今日もいちにちお疲れ様、
明日からもまた頑張っていこう!

「お忘れ物の無いようにお降りくださいませ。」


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堂島リバービエンナーレに行ってきました。
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題目は、「ECOSOPHIA – アートと建築」
詳細は、SHIFTに掲載していますので、コチラをご覧くださいませ。

堂島リバービエンナーレ2011
「ECOSOPHIA – アートと建築」
大阪の中心部を流れる堂島川を望む堂島リバーフォーラムにて、今年で第二回目となる堂島リバービエンナーレ2011が現在開催されているので、取材に行ってきた。

今回の題目となる「ECOSOPHIA(エコソフィア) 」とは、エコの哲学を実践する惑星という意味が含められており、これからの地球のあり方を、建築とアートというテーマのもとに自然環境、社会環境、人間の心理の3方向から考察するというのがECOSOPHIAのコンセプトになっている。アーティスティック・ディレクターは、飯田高誉氏(青森県立美術館チーフ・キュレーター)。
会場が地圏( 楽園の象徴 )、水圏(生命体の象徴)、気圏(天地創造と精神の象徴)に分かれ、それぞれの圏を絵画・マケット(模型)・映像・立体作品によって表現されていた。宇宙空間を想像させるような薄暗い空間に、あるべきであろう人間の理想と現実のギャップが浮き彫りにされた展示アート作品たちが存在しており、それぞれから私たちに向かって様々な警告(アラーム)が鳴らされていた。

地圏は、 楽園の象徴であり、都市・森や砂漠が表現されている。「理想宮」「理想島」「理想国家」(石井七歩)は疑街化された人と擬人化された街を少女を細密画で描くことによって表現されている。この少女は日本という島国に例えられており、また悲しくもその頼りなさを表している。樹海を偏光パールで描かれた点描画の「FOREST#1」(大庭大介)は、光の角度により自然のユートピアとその間逆である恐怖を表現する。関東大震災後の避難地域の4月20日現在を映し出した映像作品(新津保建秀、渋谷慶一郎、浅子佳英)は、映像とそれを見ている私たちを見事に融合させている。

水圏は、生命体の象徴である、海・川・地が作品の主軸となっている。まず、展示会場の外で私たちを出迎えてくれるのが、「Exform」(池田剛介・原口啓・三木慶悟)である。頭上7メートルの高さから、シナベニアの上に落下する水滴。ベニアの上に光に反射して光る水滴もまた、大地に還っていく生命体(人間)を表しているようであった。「百年海図巻 アニメーションのジオラマ」(チームラボ)も、見ものだ。WWW(世界自然保護基金)による”今世紀末までに地球の海面は最大120cm上昇する”という予測発表をアニメーションにより映像化した作品である。金色の波が次第に島を飲み込んでいく様…。まさに未来の地球の姿なのであろうか。

今回の目玉作品である「ホワイトホール」(森万理子・隅研吾)が展示されているスフィア・気圏は、天地創造と精神の象徴である、大気・宇宙を作品化している。アインシュタイン方程式による、ブラックホールにより崩壊した星を再生させる「ホワイトホール」をに注目し、環境問題と対応させることに成功している。洞窟のような建造物の素材は、99%空気を含ませた、限りなく非物質に近い素材でできている。また、2001年度ターナー賞を受賞した作品「The lights going on and off」(マーティン・クリード)もこの圏で見られる。広々とした空間にただついたり、消えたりする照明。シンプルなこの作品は、全ての物体・生命の生と死をも連想させる。
音響は坂本龍一が担当。かすかに流れるピアノのメロディに、遠くの方から少しずつ不安を誘う音が混ざってくる。その音が次第に大きくなり、ピアノのか弱い旋律が聞こえなくなる。一歩一歩あゆみ寄ってくるひずみの音。まさに現実に侵食する悪夢を表現していた。
日本独特の根拠のない安全神話。デジタル化による視覚異常に慣れてしまった私たちが、現実に非現実が存在することに対する感覚の麻痺。情報を正確に伝えるツールである言葉が、イメージ優先の単語の連続により、意味をきちんと伝える力をなくしている現実。

特に現代アートの巨匠アニッシュ・カプーアによる作品が、目をひいた。彼の建築マケットには、自然には存在するはずのない築物を、何の疑問もなく観光している人間の図が空虚感と共に作り出されていた。
「地球からの危険信号に気づいていますか。」
今年3月11日の関東大震災によって、その危険信号をより身近に感じたはずである。私たちはもっと地球規模で環境問題を考えていかなければならないと考えされられた。3月11日以降、大きく変わったものがある。元には戻れない、麻痺している場合ではないのだ。そのことを強く訴えられた気がした展示会であった。
日本にとって大きな節目となった2011年。日本人はもとより自然との対峙ではなく、共生を目指していたとコンセプトにもあるが、現在の日本はどうだろうか。もう一度、地球と私たち自身に目を向けるために堂島リバービエンナーレ2011に足を運んでみてはいかがだろうか。

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